土曜日, 1月 06, 2007

X線を発見したウイルヘルム・レントゲン



診療部と放射線科で月に1回の勉強会を開いております.
いつもはMRIなど最新の検査について勉強することが多いのですが,今回は温故知新ということで基本に返ってウイルヘルム・レントゲンについて復習しました.



1845年にドイツで生まれたウィルヘルム・レントゲンは現在医療現場で早期診断に欠く事の出来ないX線を発見し、世界最初のノーベル物理学賞を受賞しました.
レントゲンは,アイザック・ニュートン,ジェームス・マックスウェルと同じ時代に大学で勉強しました.当時,電磁気学と力学で物理学を極めたかと思われた時代ですが,その後,原子物理学が始まり,レントゲンがそのきっかけとなりました.

ウィルヘルム・レントゲンはガラス管の中に電極を封入し、電圧をかけながらガラス管の中を徐々に真空にする真空放電の実験を行っていました.(電極の間に気体 があると電気が流れないが,真空にすると放電が起きる.)その最中に、ガラス管から離れた場所にある机の上に置いておいた蛍光塗料(白金シアン化バリウム)を塗った紙が光っている事に気が付きました.
この光は真空放電中にのみ観察する事ができ、蛍光塗料を塗った紙を隣の部屋に持って行っても依然として光を放ちました.光らせる物質が空気中を飛んで隣の部屋まで行っているらしいと推測されました.試しに,蛍光板と電極との間に1000ページくらいの本を通しても白く光り,トランプで試してもやはり通り抜けました.スズ,木材, ゴム,アルミ板などで試しましたが,あらゆるものを通して光らせました.

レントゲンは,X線があらゆる物を通過する事にすぐに気が付きました.ある時,自分の手をX線にかざしてみると,そこに出来た影には自分の骨が映し出されていました.これが当時発見されていなかった電磁波の影響である事を見抜き、何かわからない光線という意味で数学で未知を意味する「X」を冠し、X線と呼びました.今では波長が1/100ミクロンの電磁波とわかっていますが,そのままX線と呼んでいます.

あまりにも鮮明に骨の様子を映し出す事が出来るため、1895年に彼が論文を発表するやいなやこの技術は欧米に瞬く間に広がり、アメリカでは体内に残留した弾丸の発見などに積極的に利用されました.

日本においても論文発表の翌年、1986年にはGSバッテリーで知られる島津源蔵(島津製作所創業者)によってX線の実験が成功し、写真撮影に成功しまし た.現在ではX線CTの世界市場シェアは日本のメーカーでほぼ独占され、日本国内では海外では考えられないほどX線CTが普及して疾病の早期診断に大きく 貢献しています.
論文発表当時,X線で女性の下着の下が見えると言う噂が立って,X線を防ぐ下着が売り出されたりしました.

発表当時,X線が危険であるとは数年間気づかず,研究者たちは電極と蛍光板の間に頭を入れたりしていましたが,白血病の患者がでてきて,ようやく危ないと気づきました.しかし,レントゲン博士は,講演などで実例を挙げてX線を浴びましたが81才まで生きました.

論文発表後16年して第1回ノーベル物理学賞受賞しました.このように非常に有用なX線を発見したにもかかわらずレントゲンは,多くの人に使ってもらおうと,特許をあえて申請しなかったために、晩年は第一次世界大戦で 敗戦したドイツ国内で非常に苦しい生活を送り、1923年、その生涯を困窮の中で閉じました.インフレの中で貧しい想いをして死んでいったそうです.特許を申請しなかったおかげで,X線の技術は瞬く間に世界中に広がり,いまでもレントゲンは医療の主役として使われています.


参考: ヴォイニッチの科学書 Byくりらじ
http://obio.c-studio.net/science/010.htm
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